「カタストロフ」
破壊的な瞬間こそ生命的である

■関連するキーワード
□非連続的発想
□中間領域の美
□反抗
□反転
□錯視・幻視・連想

ルネ・トムの「カタストロフとは何か」という著書にこんな挿話がある。母親が勉強をしようとしない子供にいらだちながら「勉強しなさい!」と小言を言う。小言ばかりを聞く子供はとても勉強の意欲など湧いては来ない。そして、益々成績が悪くなる。「勉強しなさい!」という小言を繰り返し、悪くなる成績に憤まんやる方ない母親はついに怒り心頭に達して「もう勝手にしなさい!私はもうあなたのことは知らないからね!」と本当に怒り、投げ出してしまう。
そこまできて、子供は事の重大さにはじめて気付く。母親から見捨てられてはこれは問題だ。そこで、ちょっとだけ勉強してみると成績が少しだけ良くなる、それに気を良くしてもう少し勉強して、そして、どんどん成績が上がっていく。
この母親の怒りをカタストロフの瞬間だとルネ・トムはいう。
破壊的な瞬間にこそ、生命的な瞬間がある。創造活動にもそのような瞬間がたびたび訪れる。追い込んで追い込んでアイディアが生まれるとは限らない。あきらめて思考を停止したり、他のプロジェクトに気持ちを切り替えたその瞬間に忽然と解決の方向が見えたりすることが多い。
死の直前に恍惚とした生を見るという。死の瞬間は生命の燃え上がる瞬間でもあるのだ。性は生命を生み出すと同時に死をイメージする瞬間でもある。性的興奮は決して新しい生命のイメージとは馴染めない加虐的な、或いは自虐的なイメージを持っている。破壊や死は生命や創造のすぐ隣にある。
カタストロフとは破綻、或いは大団円と辞書にある。破綻という悲劇的な状況を示す意味と共に大団円と破綻的状況を越えて、到達するハッピーエンドというドラマを意味しているというのだ。破綻の意味にハッピーな結末を辞書が記していることは重要である。
カタストロフは数学をはじめ、様々なジャンルで用いられてきているようであるが、ここでは芸術や美学の問題として取り上げてみたい。
文化とは記憶の積層であるというが、デザインや美術は自己の内部に集積された記憶はもとより、人類の遺伝子レベルの記憶をも含む記憶の集積を刺激して人々との間に共感や反感を導き出す作業である。
優れた芸術作品は、絵画も文学も映像もデザインもすべてこの記憶の刺激の構成であり、鑑賞とは、その観客や読者や使用者など、それを受け止める人々と作者の記憶とが反応して、違和感や反感を生じさせ、それが感動につながることである。作者と鑑賞者の間にこのような相互的な伝達回路が生まれるのである。
芸術におけるカタストロフとはこの作者と鑑賞者の記憶の衝突や裏切りが起こす破壊的な事件のことである。鑑賞者の記憶との矛盾や記憶への裏切りや記憶に対する揶揄や欺瞞がきっかけで、芸術は破壊的な役割を果たし、その事が日常化した意識を刺激するのである。芸術活動とは人々が正当と思い込んでいる記憶の集積にずれや割れ目を生じさせて生命的な感動の瞬間をつくりあげようとすることなのである。
芸術作品にみる美や感動は単なる心地いい美ではない。鑑賞者の期待を裏切って、破綻を生じさせることである。芸術とは告白であり、告白の動機は他者への問い掛けにあると思う。内なるものを他者の前にさらけ出して、他者へ問い掛けるその会話こそ、芸術の醍醐味であろう。
底知れぬ寂しさの中にいる人という存在の間に交わされる対話の回路は和気あいあいとしたものである筈がない。
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■EN  1989
■ 球の断片漆器 1992
高岡の伝統工芸の一つ、煮色着色による作品と漆器の作品。煮色と漆器の美しさを見せるために幾何学形態を選んだ。球の切断による造形である。