「反転」
モノを反転すると内容物が外化される、モノが周辺を支配する空間がそれである

■関連するキーワード
□カタストロフ
□もの
□モノと環境
□非連続的発想
□数奇屋
□物学
□表裏

建築が変わると多くの人々が感じはじめたのは1960年ごろである。都市化が進み、様々な社会の側面で産業化が始まって、都市も建築も大きく変わろうとしていた。直感的にそれを感じて、「建築を捨てて建築を創る」ことに躍起になったものである。建築への反抗を建築の概念をすてて建築をつくることに向けていた。その多くの作業は「家具としての建築」をつくる実験的作業であった。
設計作業は理論からは始まらない、建築を否定して家具だけで建築を計画するという行動的な作業がその後の様々な家具住居やシステムキューブやアトリエオンダ等の作品を生むことにつながっていった。
当初は「土木的なスケールの人工的なシェルターを考え、その中に住宅のすべての機能を家具としてつくる」という方法(家具住居)であったのが、次第に「住宅を家具としてつくる」方法(システムキューブ)に移行し、ついで「住宅をそのまま一つの家具にして、その外部に外皮を設ける」構想(アトリエオンダ)を実行することになった。
この様々な実験的創作活動はその周辺にいくつかの発見をともなった。始めの家具住居は当時、吉坂隆正氏のスケルトン住宅の延長であり、現在のスケルトン&インフィルにつながる思想を生んだが、システムキューブは「数寄屋は家具である」ことの発見につながり、アトリエオンダはその設計の過程が「建築を裏返したかのごとき経緯」を持ったことから「建築の反転によって家具ができる」ことの発見につながることになる。
この「反転」という概念は一方進めていた都市・建築・家具・道具等すべての環境とモノを統合する論理の構築、建築学や都市学ではなく物学の構築を目指していたこととリンクすることとなる。
「人がそのモノの外にいる時、それはモノである」「人がそのモノの中にいる時、環境である」という、人との関係による「モノの二つの存在形式」を、そして、「モノはその外に空間を作り、そのモノの集合によって人を取り囲み環境を形成する」ことに気付くことになる。
建築を反転すると家具になることと、家具などのように、人がその外にいる時には空間がその外に作られるという事実からもう一つの「地と図」の関係、「絵と余白」「モノと間」の関係を連想することになる。反転とはモノが内包した空間を外化することであり、モノと余白の関係はモノの中にあった空間をモノを反転することで外に追い出してモノの外部に余白や間を生み出すと理解することができる。モノを反転して外化した内容物が余白を構成するとすれば余白はボイドではなく豊饒な空間となるのは当然ということになる。
日本の「間」や「余白」が充実した意味を持つことの秘密はこの陽と陰の反転によることと関係があったのである。
ルネ・マグリッドの多くの作品に見る「履かれるべき靴が履くべき足に同化する」或いは「描くべきヌードモデルが、描かれたヌードモデルと同化する」という表現は「モノがその中に閉じこめていた空間を吐き出してその外にまとう」ことと相通じるものがある。「異次元相互の貫通」とでもいえる逆転的融和である。
もう一つ、マン・レイの「ヌード」がある、この写真では地である筈の空気が存在するかのごとくヌードの廻りを埋め尽くしている。ここでは背景は背景ではなく物体であり被写体となっている。世界には表裏があるということである。表の存在の裏に裏の存在がある。建築を反転すると家具になり、自動車を反転するとバイクになる。建築と自動車はその裏に家具とバイクを隠し持っていたのである。モノの裏には環境があるのだ。


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□モノと環境の反転図
環境をつくる覆いに切目をつけて、裏返すと人がその外に追い出されて環境はモノとなる。モノと環境は表裏の関係にある。



□自動車とバイク
車に切目を入れて裏返すとオートバイになる。その時車の内部の空気が外に追い出されてオートバイの周りにその空間をつくる。

 
■オンダスタジオ 1973
建築の機能をすべて巨大な家具としてつくりあげ、そのまわりにガラスの箱をかぶせる。そうしてこのアトリエができた。
■システム・キューブ 1973
部品を相互に連結して、素人でも組み立てることのできる建築のシステム。床に暖房と音響設備が設置され、且つ家具無しで住むことができる。それ自体が巨大家具と考えた建築で、座った時にこそ快適な空間である。