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SALONE NEWS 2005 in Milan -vol.04-
エンゾ・マリと日本の美意識


エンゾ・マリが飛騨産業と興味深い製品を開発し展示している。
彼らしい繊細で透明感のある造形で好感が持てる。民芸的な物である筈の家具がエンゾ・マリの手にかかってあの骨太で偏った土着的なものが影を潜めて日本の文化のもう一つの表現の可能性を感じさせる。素朴さと知性の両立といってもいい。

そもそも、日本の建築も家具も民家的なものと数奇屋的なものがある。民家的なものとは人が自然に対して創作するものであり、気候風土と緊密に形成されてきた世界であるが、数奇屋的なものは千利休という商人階級が豊臣秀吉を頂点とする武士階級への反抗のメッセージとして生まれた、社会的な造形というべきものである。
エンゾ・マリの知性とすぐれた感性が民家的なものと出あって独特な世界を描き出している。
この造形がはたして世界の標準となる芽を持っているかどうかというと疑問があるのだが新しいイメージの発見は意義深い。

今、求められているのは「世界の標準になる日本的な知恵であり美意識」だと思っている。ネクストマルニが「日本の美意識へのメッセージ」、「日本の美意識との対話」をテーマとしたのはこういった問題意識からである。ネクストマルニでは日本の美意識に囚われてその美意識の現代的な再現を期待してはいない。日本の美意識との融合ではなく、日本の美意識を刺激として世界のデザイナーの中に生まれるその人らしい、その人にとっての現代的回答である。
このことは似ているように見えて全く異なった姿勢である。ネクストマルニでは日本の美意識を否定してもいい、反論してもいい、むしろ、日本の美意識にへつらったり、融合を図ったりしてもらっては困ると思っている。

日本の美意識は間違いなくこれからの世界の調和の思想に貢献できると思っている。それ故に世界の側から、日本ではなく異文化からどう読み取るかが大切ということになる。日本的に世界を染めるのではなく、日本の美意識が世界に影響を与えることをこそ求めているのである。
エンゾ・マリの仕事は大変すぐれたものになっているのだがネクストマルニが求めているものとの本質的な相違は指摘しておかなければならない。






   
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