秋が冷気を運んできた

2008/10/05

不老庵カフェのインテリア
岐阜の瑞浪というところにいる。
秋が殆どそこまで来ているのだがまだ夜の虫の声と窓から入ってくる冷気と柿の実がそっと気配だけを見せている。


不老庵カフェ入り口

朝食の様子

不老庵カフェ概観

茶会の準備

不老庵カフェからの裏風景

周りの草花

蚕小屋の概観

蚕小屋入り口

ここは何でもない農家の蚕部屋を4年ほど前に改装した部屋である。新建材で覆われた「普通」の概観の建築の中には不思議な風情が漂っている。トンパ文字の古紙が貼られた入り口のガラス戸、その奥には壊れかかった中国の骨董の椅子とテーブルがあって、そこで今、これを書いている。朝の冷気が深々と土間から立ち上ってくる。

壁にはチベットの古代布が飾られている。すばらしい鳳凰の刺繍である。そして、そこここに、花生けが絶妙に配置されている。
後は何でもない素材で仕上がっている部屋・・・昔からの土壁と古材でできた軸組と合板のグリーンにペンキを塗ったドアと普通の洗面器と・・・この何でもない素材と部品と昔の記憶を残した部屋のつくりがアジアの古美術の逸品で魔法のように意味を変えている。

もう一つの棟がある。壊れかかった鶏小屋だったのだがそこも又つい最近、改装したのだそうだ。僕たちはこのFUROHAN CAFÉに招かれてここにいる。

RUSTY・・・早川さんはいう。壊れかかった家と出会うとどうしてもつくりたくなるのだそうだ。彼は京都の嵯峨野にも銀座にも不老庵を開いているのだが、かれの創作意欲は空間だけではなく、料理にも、食器にも広がってき、茶会と称する食事と食器と空間と会話を楽しむ会を開いている。
不思議な人である。

その彼がつくるものは「日常からの脱出」であり、「つくることの放棄」であり、「常識からの逸脱」であり、「正統への反逆」である。

RUSTYと彼が言うのは「錆びてしまって崩れゆくもの」の美の主張である。
建築家でもなく、工芸家でもなく、骨董やでもなく、料理人でもない・・・すべてに素人だからこそ到達しうる世界なのであろう。

黒川雅之