K塾

2008/11/21
フランク・ロイド・ライトの著書に「A TESTAMENT」というのがある。遺書とか遺言という意味がある。
ライトがこの本を書いたのが1957年であり、ライトの死が1959年なのだから人として生きて死ぬことを意識したときに残しておきたい言葉があってそのために書いた本なのではないかと思う。
人はいろいろな時期を生きる。僕だって青春時代には人生の先がぼんやりとしていて、不安と期待がいっぱいだった。でも今は先が見えている。見えているから青春時代のように不安はない。マラソンの折り返し点を過ぎてゴールに向かう心境でもある。

やれやれ・・・と人生の終焉に向けて食い散らかしてきた人生の整理をしてデザインで言えば作品の完成に向けてまとめ始めたという感じである。

僕がKという会社を70才にして作ったのはある種この人生の総括だし、自分の思想を出版しようと原稿書きが始まるのはまさにこの遺書の気分がある。今K塾を始めようとしているのはもう一つの遺言の場所をつくろうとしているかのようである。

いやいや、こうは言うけど別に僕が癌に冒されて死期が近いと言うわけでもなく80才や90才のように死を直前にしている訳でもない。まだ、餓鬼だと言われそうなたったの71才でしかない。

ただ、人生の終焉をたくさん見てきたし、その人の死のあとに特別の変化が世の中に起こったわけでもないことを感じているだけである。
人は生というとてつもない奇跡から普通の宇宙に戻るだけのことである。会いたいなとは思うのだが悲劇だとは思わない。愛しいあの女はなぜ消えたのか・・とか思っていてもその不思議さ悔しさは死の必然の前に浄化されてしまう。

物をつくること自体が死に似ている。生々流転する宇宙の原子をある力学で固定させることだからである。だからデザインされた物、人のつくる物は放っておくと崩壊する。その意味ではデザインは宇宙の原理への反抗なのだろう。

デザインは死への反抗だとも言えるだろう。だからフランク・ロイド・ライトは「A TESTAMENT」という本を書き、僕は物学を体系づけて著書にしたいと考えたりする。
遺伝子学者は「人間は遺伝子のコンテナに過ぎない」という。遺伝子こそ大切でありそれを次の世代に運ぶコンテナなのだそうだ。だから人が死ぬことはさほど問題ではないらしい。

表題にあるように2009年には「K塾」を始めたいと思う。これは一種の遺言の場のつもりである。教育ではなく伝えることを目的にしているが同時に自分の遺言としての著作のための思索のチャンスにしたい。
僕自身の人生のデザインの総括である。
(2009,11,18)


※写真はK-スタジオの一角を見下ろすK-ショールーム。インゴ・マーラーの照明器具が不思議なエロスを漂わせている。