生き死も呼吸

2008/11/26

吸って吐いて・・・。朝のひんやりする晩秋の空気は気持ちがいい。ちょっと喉をいたわりながらそれでもこの空気の旨いこと・・。
でも誰も意識してその空気を吸っている訳じゃない。自然に、意図せずに吸い、吐いている。これが呼吸である。これが止まると死ぬことになる。
街を歩いていると植物も呼吸している。もう紅葉より落ち葉の季節だ。でも3月になると落ちきった黒い枝から新緑の芽が伸びてくる。待ってましたとばかりに春の到来を告げてくれる。これは地球の呼吸だなと思う。彼等だって意識などしていないに違いない。気付いたら葉が落ち、芽が出ているだけのことである。

ウォーキングから帰ってくると気持ちよくお腹がすく。ひもじくなる。飢えることは辛いけれどこのお腹のすきかたは命を刺激してくれる。飢えれば食べる。食べるとお腹がいっぱいになる。飢えて食べて・・・・を人々は繰り返している。これも一種の呼吸なのだろう。吐くから吸うようにお腹が減るから食べる。これだって意識してお腹を減らし、意識して満腹になるのではない。

人の気持ちも呼吸している。ちょっと落ち込み又起き上がる。鬱になってもいつか普通に戻るし、時に鬱から躁に大転換する人もいる。そこまでいかなくても気分は常に上下する。まるで呼吸のように浮き沈みする。これも呼吸だと思えばいい。

経済もそうだ。好景気から不景気におおよそ10年かもう少し長いかな、そんなスケールで上下する。これも社会の呼吸である。これがあるから人々はぎゅっと気持ちを引き締めて反省し、組織もリストラクチャリングして立ち直る。この呼吸がなくては組織も老朽化し始める。吸えば吐く、これが当たり前のことなのだ。

考えてみると地球だって呼吸である。夜が来て朝がくる。夜には生き物はすべて眠りにつく、太陽が沈んで生命活動が難しいからだろう。そして朝日で目覚める。この夜と昼の呼吸がなかったら人の心も怠惰に連続して息吹くチャンスがないままに終わってしまう。夕日の美しさは地球の呼吸という劇的なドラマの演出である。

人の死と生は一つの呼吸なのだろう。生き続けることがあり得ないのは当たり前のことだ。だって息を吸うだけではこれも窒息状態だ。生まれることを吸うことだとすれば死ぬことは吐くことだ。人の生き死もこんなふうに呼吸なのである。

こう考えたら病気も、不幸なことも、恋人に振られちゃっても、死にかけても、経営がどん底でも、全部、救われる。その次には健康があり、幸せが来、新しい恋人が現れ、生き返り、経営が改善される。
これは本当の話しですよ。
(2008,11,26)