魂はあるか
2008/12/01

それでもそんなに簡単だと思っても何か一つだけ納得できない。それは僕が今思っていること、願いとか希望とかが生命現象が途絶えて原子の世界に還ったところでどこに行くのかなのだ。

生命をもつ人が持っていたその気は死ぬことで消えきれないのではないか?確かに人が去るとその人の気配は消える。それは本当に消えたのではなく去ったのだろう。だから死ぬとその気配は残されるのではないか?
物のデザインはその気配のデザインだ・・・と僕は言っている。その気配は魂のようなものでその気配のせいで空間ができる。インテリアデザインとはそのような家具や敷物などの気配の調和をつくることなのだろう。
物はどこかへ持ち去ることはできるし気配を一緒に連れて行く。でも人間はそこで死ねばそこに残されるように思える。
だから人間の気配はこの空間に浮遊している。きっとそれを魂と言うのだろう。
想いの強い人だけかも知れないな。そうなると物だって重いが強ければ物が壊れて消えても、廃棄されて燃やされても残されるかもしれないと思えてくる。
伝統工芸を見ていると、道具だった茶碗やお重が装飾をまとうようになって次第に機能が想いに包まれ始めたのではないかと思う。時代が変わって道具としての役割が消えていくと想いだけが残される。こうなると殆ど美術品である。この美術品は見れば見るほど肉体を失った魂のように見える。魂だけが残されたのだ。人間の魂もそんな物なのではないか・・・。命は機能じゃないが、失って美だけが・・・魂だけが漂うのだ。
(2008,11,29)
※写真は桜である。これから冬だからふっとこれから訪れる桜を想うのもいいだろう。古木の岩のような黒い肌に小さな花を咲かせるのは桜の思いなのではないか。そう思うとしだれ桜の枝が寂しげにも見えてくる。





