行政の仕事

2008/12/15
地場産業が活力をなくしているからそれを支援する。弱者がこのままでは生きていけないから補助する。伝統工芸が跡継ぎもなくこのままでは途絶えてしまうから資本をつぎ込む。これが経産省だったり中小企業庁だったりの活動である。官僚機構たるものの当然の活動なのだがどこか悲しい宿命を感じてしまう。
人の力はたいしたものではない。人がどんなに努力しても時代の大きな流れは決して止められるものではない。それなのにその流れに逆らって衰え行くものに資金を投入するのが彼等の定めなのだ。
事業家は時代の流れ、その事業の動きを見て上昇しつつあるところに投資するから成功する。官僚はそれができないでいる。衰える産業に投資し、立ち上がれないから支援する。そもそも補助される立場になったら本当は、将来性はないのだから事業家なら手を引く。そこを狙って投資するのが行政の立場なのだから悲しい定めというべきだろう。これでは成功しないことを承知での投資になる。
伝統産業は社会にとっても実利を失って美だけを提供してくれる産業である。昔は生活に根付いた産業だったものだが時代が変わって取り残された技術であり産業なのだ。だから人間にたとえれば肉体を失って魂だけになったようなものである。美だけが魂となって人々を感動させている。
その美という魂を実業のステージに乗せることが出来るかどうかにかかっているのだ。それは確かな「美」であり「魂」だけにそのチャンスがある。
それなのに、官僚達、行政の立場にいる人たちのもう一つの悲劇的宿命は平等でなくてはならないことである。一つの地域や産業を助けるのに美しくない仕事だから捨て、美しい、残すに値する仕事だから助ける、ということが出来ないでいる。支援も平等に行われる。
本当は、産業は共同と競争の原理で動いている。それにも関わらず、行政の立場は共同の原理だけに頼ることになっている。競争させる行政が必要なのにそれをしない。
将来性があるのだが資金が足りない、という若者や新しいこころみにこそ資金援助をするべきだろう。行政の立場からも資本主義社会の投資効果を評価する空気を育てて欲しいものである。あの役人の投資は才能のある弱者にチャンスを与えたと評価される体質が望まれる。本当は「衰え行く人や産業に、焼け石に水の投資をする」のが宿命などではない。「共同の原理だけで競争させない」支援が宿命でもない。予算を使えばいいという体質を止めて、日本の将来に貢献しそうな企業に競争を駆り立てながら支援する勇気が欲しい。
無難に、世間からの非難がでないように、「既存の職能団体を通じて」支援し、「その団体の希望者全員」を対象に、「共同をよしとしてだけ」支援することを続けていては地方の産業も日本の産業も次第に疲弊していくだけである。
諸悪の根源になっている役人根性をたたき直して本当の行政の精神を復興させる勇者の登場が待たれる。殆どの役人の自己保存の仕組みを壊して自己犠牲をいとわない勇敢な英雄の登場を全ての人々が待っている。
(2008,12,15)

※写真は上海でのスナップ。