美とは気持ちいいこと

2009/01/14
 美とは何かと問われたとき、僕は「気持ちいいこと」と答えている。ある人は「心地いいこと」でしょ?と修正してくれたのだが、どうも僕にはこの「気持ちいい」がぴったりである。心地いいよりもっと肉感的な気持ちよさである。僕はまた一方、「美のためなら死ねる」とも言っている。死を賭すほどのことにしては気持ちがいいというセリフが、ぴったりしない人もいるかもしれないのだが、でも、まさに気持ちがいいことに間違いはない。
 一番分かりやすい例は、性的な気持ちよさだ。性的な気持ちよさは、それほど命を賭けるほどのことではないとお思いかもしれないが、とんでもない。女のために死ぬのもこの感覚が伏線としてあるし、これがなかったら人類は滅びている。「気持ちのいいこと」は、それほどに大切なことなのである。
 性的な気持ちの良さは、大切だと言っても、なにも役立たない感覚である。人類を絶やさないために重要でも、その感覚はひどく個人的で自己完結的である。だから、とても役立つ感覚ではない。
 美とはそんなものである。美とは役立たない感覚なのだ。それなのに、僕は人生を賭けて美を探している。無駄なものに人生を賭けている。
 人々は何のために生きているのだろう?明日も生き続けるであろうと思っているのは、何を期待してのことだろう。僕は、きっと明日にはなにかいい感動があるかな?と、人々は思っているのだと思う。そんなふうに死を賭ける価値もあり、生き続けるのも美のため、気持ちのいいことのためなのである。
 先に、デザインの究極は「極楽浄土」ではないかと書いた。極楽浄土も役立たない感覚である。そこへ向かうこと、美へ向かうことが、人間に運命づけられているのだろう。「気持ちいいこと」という「極楽浄土」は、デザインが探す究極の姿である。なむあみだぶつ・・・!
(2008,12,28)




<写真>
上海での船上パーティー。復旦大学視覚芸術学院の開校式のイベントである。河川を通行止めにして独占してのパーティーだった。ちなみに、僕はこの大学の客員教授をしている。