普通のこと/アマチュアリズム

2009/01/16
 殺しのプロフェッショナル。ゴルゴ13のように、このプロフェッショナルという語感は冷徹に問題を解決する凄腕をイメージできて、いい感じである。仕事は受けた以上しっかりとやり遂げて見せることが大切だし、デザインのプロフェッショナルというと、企業からも個人からも自分の抱えた問題を解決してくれる頼りになる人というイメージである。
 ところが、それは大切なのだが「ちょっと待った!」をかけたい。それはデザインだけではないだろうけれど、この専門家の仕事とは「依頼者の持つ問題」と「それを解決するプロフェッショナル」があり、そこに「対価が発生する」という関係があって、それだけでその関係が閉じていることである。
 建築家に「今日の都市のあり方について意見を欲しい」と言えば、殆どの建築家はちゃんと答える。その建築家は「デザインの依頼者への回答」ではなく、1人の人間、1人の職能人として、自分のプロフェッションの仕事のその先に人間としての意見を持っているからである。
 建築家は普通、求められている「予算の中で出来るだけ住みやすい住宅を、法律を守りながら実現する」という専門家としての仕事の先に、「住宅とはなにだろう?」とか「これからの美はどうなるか?」などを考えながら、その回答も探している。プロダクトデザイナーだって、すぐれた人々はそういうテーマをいつも持っている。企業の持つ問題への解答でありながら、同時に時代や社会へのメッセージであったりする。
 デザインは、実はこのプロフェッショナルな仕事の背後にある「依頼者からは求められていないが社会への発言をする」ことが大切なのだ。1人の人間としての社会への問いや主張が大切なのだ。
 大切なのはアマチュアリズムなのだと、だから僕は主張する。デザイナーであることの前に1人の普通の人間であり、その立場での主張をなくしてはプロフェッショナルさえ成立しないのである。
 専門家の陥りがちな「いつもの手口」や「いつもの回答の出し方」を一旦外して、1人の普通の人間に戻って、原点に戻って考えることで、あるべき姿に軌道修正できる。既成概念を打破しようと言っていても、そう簡単ではない。むしろ、普通の考え方に戻ることで真実が見えてきたりするのである。
(2008,12,28)




<写真>
2005年4月にミラノで開催されたネクストマルニの発表会。
当時、経営不振に陥ったマル二木工を救済するプロジェクトとして、僕が提案しプロデュースした、その第1回目の発表会。世界の著名なデザイナー達に「日本の美意識へのメッセージとして小椅子をデザインしてください」と依頼して発表した。世界の100を超えるメディアが取材に殺到してにぎわった。この写真はその会場風景である。
赤い椅子は僕の作品。以下のウェブショップ、”K-SHOP”で購入できる。
http://www.k-shop.net/