多様性と生命

2009/01/19
 高度な生命体こそ複雑なのだそうである。高度な生き物である人間の感情もまた複雑である。生命体は高度過ぎて、まるでカオスだ。「高度な構造」は現実の社会でますます加速度的に高度化して、カオスのように見えてくる。
 そのような高度な社会の仕組みをシンプルに説明することが大切である。複雑と感じ始めると、人間はその社会からはみ出し置いておかれてしまう。要するに疎外されるのである。しかし、それが難しい時代になった。
 
 昔の自動車はエンストすると、車を降りてボンネットを開けて、当たりをつけて自分で修理したものだ。プラグが汚れているかなとか、タイミングを調整しようなどと、ちょこっと直して、また運転したものである。それが今の車ときたら、修理屋さえ修理しないで部品交換してしまう。「これはオンボードコンピュータのトラブルですよ」といって、コンピュータを丸ごと取り替える。部品さえ高度になりすぎて、修理が不可能になっているのだ。

 政治も簡単ではなくなった。経済に至っては、今回の金融危機でみるように世界の誰もが予測出来なかったほどである。トヨタ自動車は2009年度の売上げ予測が出せないと、発表しなかった。本当に先が見えないのである。
 情報が過度に発達して、瞬時に世界を駆けめぐる。複雑な仕組みが国際的なスケールで絡み合って組織をより複雑にしている。グローバルな時代はそうなる運命にあるのである。小さい村でさえ、人の複雑な感情がうごめいて関係はシンプルではない。その上、グローバルになった今日の世界の全ての人々が、直接、関係しあっている。

 高度なこの社会の構造をどう解きほぐしていくか、法則を見つけ出すことが出来るかは、容易なことではない。天文学的数のファクターが高度に絡み合って、一つのファクターの変化が全体に影響を及ぼしている。もはや、殆ど理解を不可能にしている。

 こうして現代では「進歩」が「複雑化」を意味している。そして、それが生き物だけでなく、現代の組織でも進行している。世界の多様な思想の持ち主が、地球という一つの場所に一緒に住む時代になった。そして、情報の発達で人類の組織は進歩し、複雑になり、高度になった。
 人類はひょっとすると進歩し、高度化しすぎることで自爆するのかも知れない。死は生の究極において訪れるとすると、なかなか興
味深い話である。
(2008,12,29)

<写真>
アメリカのスーパーマーケットの風景。