ディスコンティニュアス・コンティニュイティー/非連続な連続

2009/01/28
 夕日を見て「きれいだね!」と感激の声を上げる。「うん!ほんとだね!」と同じ歓びに感激する。こんな風景に水をさす気はないのだが、この彼女と彼の間には大きな溝がある。
 人は、それぞれの歴史を持っている。同じ夕日でも、そこには異なった記憶が呼び起こされての感動のはずである。彼女にとってはいつか見た故郷の夕焼けだったのだが、彼には別の彼女との旅の思い出が脳裏に浮かんだのかもしれない。それでも、これは共感であり、コミュニケーションであることに間違いはない。
 ひとりひとりは、偉大な過去を持っている。揺るがせない自己という判断基準を持っている。全ての文学作品も、人それぞれの読み方をする。自分の人生や自分の置かれた文化環境が、その読み方を違える。
 デザインだって同じである。同じ物が同じには感じられないのだが、それでも人々は共感しあっている。
 コミュニケーションはそういったものなのである。非連続のままに連続性を持つことが、コミュニケーションなのである。
 流行というものがある。次々に変わりうるファッションのような世界では顕著なのだが、その時代の空気を感じて、お互いに影響を与えながら変化していく。影響は一種の非連続な連続性である。
 真似やコピーは連続性が強い連続なのだが、自分自身の文化を背景にして影響を受け、或いは時代の空気に反応しての類似性は、決して悪いことではない。むしろ、好ましい連続性というべきである。社会は、そのように個性を背景に影響し合う集団だからである。反応し合うことで共感しあう、いい社会が生まれるのである。
 サスティナビリティーのある社会は、こうして生まれる。人と人が継続性を持つことで、記憶が蓄積され文化が形成される。大切なことは、この連続性がそれぞれの瞬間(時間)とそれぞれの個体(人)とそれぞれの地域(空間)の個性を持つ共感であることである。自分を失うな、そして一つの心を持て・・・ということである。
(2008,12,29)


『物語 ーもの・がたりー』

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