デザインの探し方

2009/02/17
 僕は、いつもデザインを素材の奏でる音楽のように考えている。素材は地球の一部だから、地球の感覚をそっと引き出すかのような作業でもある。
 鉄は、その奥から炎の熱さが聞こえてくる。ガラスは、溶かされて液体だった時もあるのだが、炎の記憶など全くないよ・・・と言わないばかりに凝固した水のようである。多治見でつくった磁器の皿は、なめらかな白いうわぐすりが白さに純粋さを顕している。
 デザインは僕にとって素材との会話であり、素材と戯れるように素材の意味を聞き出し表象させる作業のように思う。存在の詩なのだ。
 デザインを形で捉えることはなかったように思う。いや、素材のイメージに耳を傾けて、そのイメージに形を与えているのだが、形は僕が生み出すのではなく、素材が僕の中に形を顕すにすぎない。形は与えたのではなく、顕れたのである。
 いや、自分のデザイン作業を想い出すと、形の現れかたは単に素材というより、素材と自分との関係の中で顕れているようでもある。手にする道具なら、僕の手と素材がイメージのなかで会話している。人間が歩行から手を解放して、手が道具を使い始めたその時から、この手と素材との関係の記憶が形のイメージを誘導するのだろう。形づくるときに、すでに僕の頭の中では触覚が甦っている。
 デザインは紙もペンも持たないでスケッチするのがいいと思うときと、それに引き出されるように会議資料の紙の端や裏に会議の最中、ちょっとペンでイメージをまさぐるのもいい。そうしながら、頭の中にイメージが甦ってくる。スケッチしようと紙をデスクに置いて始めると、イメージは湧いては来ない。普通に過ごしながら、時に車を運転しながら、時にテレビを見ながら、時にお茶を喉に送り込みながら、そのイメージはひょこっと顕れる。そんな瞬間は、一条の風が訪れたかのような快適な瞬間である。
(2009, 2,14)




<物語 ーもの・がたりー>
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