死という文字が転がっている

2009/03/02
 今日、松永真さんをアトリエに訪ねた。昔、同じ建物にオフィスを構えていたのだが、あれから随分一緒の仕事をしていない。
 何年経っても、同じ真さんだ。ちょっと気取ったオフィスで会う。自虐と自慢と照れと開き直りと・・・、相変わらず単純で複雑な奴だ。愛すべき奴で気障りな奴だ・・・、こんなこと書くと削除されるかな・・・。
 実は、このブログ「曼荼羅紀行」が出版されることになった。ソシムの野上さんからの申し出である。しかも、「デザインと死」というタイトルにしたい、こうタイトルまで持参しての申し出である。面白い奴だな・・・、通じる何かを感じた瞬間である。
 その本のデザインを松永さんにお願いしようというのである。これも、野上さんが言い出したこと。真さんは本当に長い付き合いだから、二つ返事だった。
真さんの提案は、実に明確、直裁だった。奴はやはり天才だな・・・と思った。デザインという文字と死という文字が空間に転がっている。揺れながら、空間に移送しながら、漂っている。文字が文字であることを超えて、存在そのものになっている。デザインという文字と死という文字が、意味を伝える記号を超えてしまっている。そのくせ、白い空間が主役である。死という文字が死そのものの意味をもつ存在感をもつ「物」になっている。物になっているから、その余白が虚空にならず豊饒な空間に変わる。

▲ピーター・ズンドーのアトリエの壁とドア
 これはまさに日本の美意識だ。デザインと死の2つの文字が気配を持っているから、その気配が余白を描き出す。余白が間となって、意味が詰まった空間になる。
 物のデザインは、この気配こそ大切なのだ。物自体でデザインではなく、この気配をデザインすることだ。そんなふうにいつも考えている僕に、彼はこともなげにこの表紙のデザインを提案してみせた。やはり、ただ者ではない。
 「デザインと死」は、ソシムから5月頃出版される。この本はどう考えても野上さんの作品だし、松永さんの作品でもある。そんな理想的なプロセスでこの本が生まれようとしている。
(2009.2.27)