つくりたいんだ

2009/03/06
 とにかくつくりたいんだ。いろいろアイディアが浮かんでくる。もちろんコストを見積もってみては、つくりかたや構成を考え直したり、容易じゃない。でも、悩みながらでもいろいろな構成が浮かんでくる。
 僕が今つくろうとしているのは、透明な調味料入れだ。小さくて泡のような透明で存在感の薄いはかない、壊れそうな調味料入れだ。中が透けて見える・・・。胡椒だったり塩だったり、もちろん胡麻だっていい、ペペロンチーノだっていい。透明だから何が入っているか、外から見える。うすはりガラスのはかない存在感の調味料入れだ。
 そいつがテーブルに並んで置かれる。特別な座があってもいいが、ばらばらにテーブルに置かれて中身が透けて見えるから、調味料のいろいろな色合いが食卓を彩ってくれる。白いテーブルクロスがいいに違いない。調味料が出てくる穴だって、三つだったり一つだったりする必要はない。穴で中身を判断するのではなく、調味料そのものが見えるから穴の種類は小さい穴と大きめの穴の二種類でいい。それも中身から選択して好きな量がでるように選べばいい。ぶくっと、あわぶくのように、膨らんだ形がいい。
 建築のスケッチの場合は、どうしても直ぐに紙と鉛筆が欲しくなる。イメージを描くスケールが大きいから大変だ。でも、こういった小さいものの構想はいつも殆ど頭の中で出来上がってくる。いろいろな問題をチェックしながら、頭の中で形が描かれていく。ちゃんと色があって光に反射するガラスの質感があって、頭の中のスケッチはリアルだ。
 初めのアイデアから随分変わってきた。どこで誰に作ってもらうかだったり、在庫種類を減らすためだったり、また見積もってみて型の価格が大きすぎて発注量を増やさないとコストが大きくなりすぎる・・ということだったりで、でも、どんどん心地よくスケッチが展開していく。最後は値段でもないし、使い勝手の良さは当たり前だから、詩のような空間での存在感や光への反応ということになる。
 Kをつくってから、こうして描き易くなった。生活のシーンから販売のシーン・・・。そして、製造過程でのいろいろな問題を職人がこうだろうなと思うように、自然に作り方を描いて詩を描いていくことが出来るようになった。図面になって、生産を発注して、パッケージもつくって、説明のパンフレットからカタログからと、デザインが作り手と売り手と使い手の全部にまたがる共通の言語のように感じられるようになった。
 Kという会社、組織がこんな風につくる仕掛けだけではなく、デザイナーを解放してくれるとは計算していたとも言えるが、同時に驚いてもいる。僕は今、いわゆる職人のように素材に愛情を感じて仕事をしているのだが、決して縛られてはいない。どんな素材だって選べるし、その素材を熟知した職人とコラボレーションもできる。スイスで販売してくれているオッちゃんや台湾で売ってくれている若い担当者の顔を浮かべながら、セールストークを探しながらのデザインだってできる。当然、使い手の気持ち、店頭での見せ方も頭にある。こう考えるとKをつくることで僕はものづくりのコンダクターになったのかな?、と思えてくる。
 これまでデザイナーは、つくる技術から距離を置いてメーカーに任せてきた。その上、デザイナーは販売のシーンや価格から意識を遠ざけて、パートナーであるはずの売り手の問題と突き放してきた。その製造から販売から使用の現場までの全てが見える立場でものづくりをする快適さが、Kをつくることから実現している。「つくりたいんだ」という気持ちがそのまま実現するデザインの究極の仕組みができたかな・・・と思っている。まだまだ問題は山積みなのだが、先が見えてきたように思う。
(2009. 3. 1)