植物のこと その2

2009/03/17
 先のブログ、“植物のことを考えよう”に用いた森の写真を藤岡伸子さんが持っていることを知っていたから、写真拝借をお願いしたのです。そして、こんな原稿だと読んで貰いました。そしたら、返ってきたのが以下のメールです。
 いつも彼女には、その「知と感性」に驚かされる。こんな面白い話を皆さんに読ませないのはもったいないから、彼女の許可を得て掲載することにしました。

黒川 雅之 様

 私もこれからは「植物」だと思います。一昨年、「潜在自然植生」の宮脇昭さんを呼んで、講演をしてもらいました。ものすごい迫力で圧倒されました。地球上の唯一の生産者は植物であり、それゆえ地球の主役は植物だと。そして、動物はそれに完全に依存してしか生きられない、ただの弱々しい消費者・脇役だと。
 大気圏から水圏まで含めても、たったの20Kmが生物の生存可能な空間、いわゆる生物圏だというのは衝撃的な事実ですね。しかも、陸上生物に限って言えば、もっとずっと狭い。最も高い樹木と言われるアメリカ西部のセコイア類でも、高さは110mが限度。土中はもっと限られて、せいぜい地際から20cm程度のあたりで、生き物の姿はほとんどなくなるとか。地下5mでも酸欠で生物は生きられないのだそうです。最も衝撃的なのは、地球上の全ての生き物を仮に団子にして熨して地球の表面を覆ったとすると、厚さはたったの1.5cmだそうです。そして、動物質はそのうちのたった10分の1。9割は植物であるわけです。さらにその内、陸上の動物は250分の1、人類などはそのまた極めて微量な一部でしかない。なのに、その微量の、地球の表面を這う微々たる存在の人間が、大気や土壌など地球全体に深刻な危機に追い込みつつある。
 私も植物については、いろいろ新しいことを企てています。これまでは、「近くの山の木で家をつくるスクール」という木材の地産地消をめざす活動をしてきたので、荒れ果てた杉や檜の人工林がどうしたらもっと手入れされ、健康になれるかという視点でしか森について考えないことが多かったんです。でも、現在、都市の森づくりに意識は移行しています。
 宮脇昭さんのいうような、しのぎを削って木々が闘い合ってできている本物の森が、都市の人間にこそ必要なんです。19世紀中葉アメリカの思想家・文学者ヘンリー・ディヴィッド・ソローはこういう感性を先取りしています。彼の古典的な「森の生活」は、まだかなり口当たりの良いロマン主義的な作品
ですが、「散歩」などになるとロマン主義の森とは全く違う、いささか怖いような生命の横溢が書かれています。黒川さんの書かれたものはとても面白かったです。「植物のもつ”そこで手に入れて、そこで生きる”という植物的発想」から学べ、というのは新鮮です。そこからコンパクトシティや半自給自足的生活や、土地土地に有り余っていながら十分利用されていない分散資源の活用(エネルギー政策で、集中資源化しようとするから原子力発電などバカな発想が生まれます)など新しい価値につながっていくというあたりは、斬新です。私も今の痛々しげに見える時代は、新しい時代への希望あふれる転換点だと感じています。

藤岡 伸子/Nobuko FUJIOKA
名古屋工業大学 建築・デザイン工学科


<写真> 地球と胎児