生きている不安

2009/04/21
 僕の周りの、沢山の人が不安を訴えている。
 ある人、メディアで働くやり手ディレクターは鬱病で会社を休んでいる。鬱病は僕の周りだけでも2〜3人はいる。心のバランスをとれないで、自分は駄目だという思いが自分を苦しめるのだ。
 また、ある友人の息子は父に電話をして、ビルから飛び降りてしまった。電話の向こうに死を覚悟した息子と話しながら止められなかった苦しみは、想像にあまりある。そして、死を選んだ若者は今はきっと「不安な生」から解放されて幸せになっているに違いない。
 潔癖症にとまどっている友人もいる。少しずつ進行して床に落ちた物も拾えないし照明のスイッチに素手では触れない。もう1人の女性は家を出るまでが大変だという。火は消したか、電気は消したか、窓は閉めたか・・・何度も不安になり何度もチェックを繰り返すのだという。
 こんな後輩もいる。パニック症というらしい。遠い距離に自分の車を運転できないという。家から離れると次第に冷や汗が出てくる。とても運転を続けられないのだという。もう1人のパニック症の後輩は飛行機だけでなく、急行電車にも乗れない。閉じ込められて自由が奪われた環境では、心臓が異常な動きをし始めてしまう。閉所恐怖症の友人もいる。エレベーターが止まってしまったらと、恐怖が襲うそうである。
 こんなに多くの人たちが、不安と焦りと心の苦痛に責め立てられて生きている。彼らに聴くと自分の心を持て余している様子が分かる。抜け出したいと思うのだが引き戻されてしまうらしい。周りも叱咤激励すればいいのか、そっとしておくのがいいかも分からない。どうやら全部が自分の問題なのではないかと思えてくる。心はそれだけ厄介なものなのだ。
 不安になると僕は深呼吸をしている。多分、運動選手やステージでのアーティストも、そのような心の自己コントロールをしながら、不安をなだめ勇気を鼓舞しているのだろう。
 人間には初めから「底知れぬ不安」があり、それと反対に初めから「自然に沸き上がる命の力」を持っている。不安だから宗教や芸術や愛情が生まれるのだろうし、命の力があるから夢を描くことができ、好奇心いっぱいに世界を眺めることもできる。そんな2つの力のバランスが崩れるのだろう。
 多くの人は肉体の死や苦痛は問題にしやすいのだが、心の苦痛や不安は見えないからか、やり過ごしてしまう。だが、実は肉体と心、あるいは精神は不分離の一体である。秋葉原や全国で起こる無差別殺人の影にこういった心の不安が潜んでいるのだろう。
 誰でも持つこの不安。病的か健全かの区別さえ出来ないこの不安の元凶は、社会というより人そのものの問題なのだろう。その人自体の意欲や生命へのまなざしやはね除けようとする力の問題なのだろう。人は環境によって育てられる、その意味では親や社会環境は大きな力でこの人々の不安を導いたのだともいえる。
 人間。この不可解な生き物がすべての原点にあるのだろう。結局はどういう体験をして成長してきたか。どう戦って今日まで生きてきたか。それぞれの人のサバイバルの歴史がその人の資質を決定づける。
 生き延びる力を身につけてきたかが、人の心を決めるのだろう。
父や母の適度な関心と適度な無関心を得て僕は育ってきた。自然の中で命の意味を学び、危険と出会いながら生き延びてきた。好奇心を育てられ生きる力を育ててきたように思う。人は誰でも自分のことだけではない次世代を育てて消えていく宿命にある。
 どう生きるか・・・どう育てるか、これからの地球の最大のテーマとなろう。
(2009. 4.18)


<物語 ーもの・がたりー>
不安も一つの美だと思う。
そんな美を持つ作品が出来た、“BALLOON”という。
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