中国、西安のこと

2009/07/03
 文化ということが何なのかを、今頃、実感している。使い古されたこの文化という不思議な概念は、こうして文化の及んでいない、いや、日本の僕の生活環境からはおよそかけ離れた地域に来て、やっと文化が何かに気付かされる。
 僕は結構、原始的な人間だし、フィリピンのスラム街(相当、昔に海岸線に広がっていた)には感激したし、モロッコではここは僕の生まれたところではないか・・・と思うほどに、どこかぴったりと文化的同一性を感じたものだ。
だから決して文化が及んでいない・・・と言う意味は、経済的貧困を言ってはいない。

 ここ、西安は、それどころか、感動的な壮大な歴史を彷彿とさせてくれる都市である。兵馬俑では3000年の昔の人の生活の高度なのに驚き、党家村では家や都市の作り方の緻密さに驚いた。西安の博物館では、複雑な歴史の重なりに驚嘆している。

 信じられますか?西安は、長安からいくつもの皇帝の度重なる移転や改造を繰り返して、まるでローマの街と同様に、いやそれ以上に重層的な歴史を持った都市なのである。現在の西安は、長安のほんの一部につくられた明の時代の都市に過ぎない。長安は、その9倍はある巨大な都市だった・・・・。

 荒廃し捨てられて、西安と称されて、今に至る西安の歴史はその偉大な過去とその後の零落を写している。首都を北京に奪われたのも不思議ではない。

 西安が、これほどに北京から遠い、というのも僕には驚きであった。2時間と20分をかけて上海から飛び、到達した街は偉大な歴史と取り残された経済という顔をもっていた。

 著名なレストランでもインターナショナル・クレジットカードは使えない。中国の銀行のカードに限られる。ワインは、やっとフランス料理屋で飲めたがほんの一部に限られる。グラスは分厚いガラスの安物である。フランスワインはこれ見よがしに高額になって、ワインリストのトップを飾っている。6万円以上の高額商品だ。フランス料理屋なのにアメリカのサイモンとガーファンクルの曲をバイオリンの生で演奏している。カラオケのピアノに合わせての演奏である。色も鮮やかな、まるで中華料理のメニューのように印刷された料理。美味しいはずがないことは当然だろう。背景をなすフランス料理の文化がない。

 新しい街と生活に文化が育たず、昔の深い歴史だけが展開する街、それが西安である。
(2009, 6,24)

  
▲ 博物館で撮影の長安と西安の地図。二つの時間を異にした都市、長安と西安が重なって表現されている。紫色で囲われた小さい地域が西安であり、全体が長安である。