身体と心

2009/07/27
 今日、2月から耳が聞こえなくなっていた友人に会った。突然、聞こえるようになったよ・・・、と言う。彼女の表情が明るくなっていることに気付いていたのだが、その理由が、突然、分かった。
 そうだったんだ。だから・・・、そうだったんだ。
 何か世界が急に明るくなった。すべてが好転し始めたように思えた。突然、音を失った彼女の耳に何が起こったのかは分からないけれど・・・、嬉しくなった。
 これは、二週間ほど前に書いた文章である。その後、僕は、音楽会に彼女を連れて行った。音の戻った彼女へのプレゼントだった。今でも、どうしても話す相手の口元を見てしまうのだという。6ヶ月ほどの間の習慣が残ってしまうらしい。彼女は一生懸命、音のない世界で言葉を探していたのだろう。
 心の中で何が起こったのだろう。普通考えられることは、これ以上のことを聞くと心が壊れてしまう・・・、と思った時に、人は自分の心を守るために音を遮断する。聞こえなくすることで、自分の心を守るのである。
 コリン・ウィルソンは、言っている。人間の脳には、フィルター機構が装備されていて、聞きたくないこと、或いは、自分の思想に合致しない内容はフィルターにかけて、頭に入らなくするのだという。そのフィルターが壊れていると思想が混乱し、発狂しそうになる。発狂を避ける仕組みが、人の頭に仕組まれているのだ。
 彼女の音もそんな仕組みで排除されたのだろう。排除することで心を守ったのだろう。これはフィルター機構が正常に働いたことを意味している。音が聞こえなくなることは、正常なことなのだ。聞いてしまうことで心の何かが破壊されそうだったのだろう。
 人は皆、弱虫である。寂しく、悲しく、怒りたいこともいっぱいあって・・・。それでも、生き長らえ、壊れることなく居続けるとしたら、どこかでこの耐え難い感情を回避する仕組みが働いているのだろう。それを失ったとき、人は狂気に走ったりする。信じ難い多くの犯罪は、そんなふうに生まれている。
 人と人が愛し合うことだったり、なにかを信じること、宗教だったり、創造の歓びという芸術的行為だったり・・・、回避する仕組みはいろいろな形で存在する。ひとりひとり、それが発見できたらいい。

(2009.7.25)